17歳で猪狩蒼弥に出会わなくてよかった。
わたしは、詩を書く人が好きだ。
なかでも無駄を切って選び抜かれた凝縮された表現、冗長にならない文字数。
突き詰めれば短歌や俳句になるのだろう。
数多ある詩の表現は、いまラップというかたちで表現されている、と思う。
そんなに詳しくはないけども、いくつかの約束事があることは知っている。
かつて日本語ロックを確立する為に音符に一語を乗せる為に試行錯誤し、わざわざ日本語にする意味を問われていたもの。それは、四半世紀もたたないうちに、当たり前に最初から用意されていたかのように、毎日毎分毎秒、呼吸するかのように、新しい日本語詩を生み出している。
そして現在、日本語ロックの歴史を辿るかのように試行錯誤してみせた日本語ラップは、さらに若い世代に当たり前のように根付いている。
かつて叩きつけるような詩ばかりという印象を抜け出して、リリックという名に相応しい優しくメロディアスなものも生み出されている。
川崎系のバッドホップはわからない。単に好きではないのだが、彼らが受け入れられるという流れには興味はある。
インスタが画像を使った俳句なら、ラップは詠み人知らずの短歌になるのだろうか。とにかく特定の誰かに、また不特定の誰かに伝えたいと思ってしまったことは間違いない。
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この本を知る前に、わたしは街角で彼の名前の書かれたポスターやビラを目にしていた。この名前は何と読むのか、父母に聞いて苦いかおをされた記憶がある。
わたしがこれを読んだのは、幸いにも成人後であった。もしこれを、まだ心の柔らかい10代前半に読んでいたら、未だ回忌に集会があるらしい彼にうっかり憧れていたかもしれないとすら思った。
10代なんて自分が何者かもわからず、簡単に誰かと自分を重ねてしまえる時期だ。
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ようやく自我らしきものが芽生えた頃、不遜にも自分は何者かになれるとうっすら信じていた。何者かになるには信念も努力も足りず、また努力する努力すら放棄していた。
ようやく見つけたスターリンの数枚のレコードをカセットテープに録音して聴いてみた。
政治色のつよい詩は理解が追いつかなかったが、一曲だけつよく印象に残り、何度も何度も聞いた。
自我のようななにかを幾重に纏って武装したつもりでも、それをといたお前には何が残るのか?そう大人に指摘されたように思えた。
自嘲して武装を解き、何者でもない社会の一員になった。
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あれから、一応は社会に出て職を得て給料を稼ぎ、いまは結婚をして子供を育てている。
そして、あの頃の17歳だった自分を思い出すことが増えた。
公表されているもので彼を紹介すると、父が東京ボンバーズで、彼自身ローラースケートで滑っていたところを、故ジャニー社長にスカウトされて11歳で事務所入りしている。
ほかの特技は空手、ピアノ、ドラム、読書である。
彼が事務所入りした頃、まったく踊れなかったダンスは同年代のダンス選抜に入ったこともあり、更に今ではユニットの振り付けを一部担当するまでに成長している。
中学生なのに中学生に見えなかった彼は、高校生になり今度は高校生に見えないと言われている。
彼の過剰なまでの自己演出と自己陶酔や派手な私服はネタにされたり笑われたりもするが、彼は恐らくそれすらも「狙っている」のではと考えが浮かぶ程に、いちいち言動が印象に残るのだ。
一般社会で学生生活のなかで「浮く」ことは、しばしばマイナスになるが、彼は芸能人であり5人組のなかの一人である。そのなかで「浮く」ことは知名度があがるということである、と贔屓なだけに評価したい。
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その猪狩蒼弥の最大の武器は、受け継いだローラースケートではなく、「言葉」だ。
彼は言葉が誰かを傷つけることを承知している。
例えば、彼が14歳のときのコンサートのMCで平たくいえば彼自身のジェンダーや性嗜好に言及される場面があった。そのとき彼は「いまは異性が好きだが」と前置きしたあと「それはいつ変わるかわからない」と言ってのけた。
人口比率にすればコンサート会場内にも数人以上いるだろうLGBT統計の出たあとである。
その14歳のときに発表したのが、メンバー紹介ラップである。こっそり書いていたものをメンバーに勧められてコンサートで発表された。
これを皮切りに、彼はラップを担当するようになった。会員限定の有料動画なのでリンクは控えるしかないのが悔しいと思えるくらいに「これが10代前半のオリジナリティとクオリティである」ことが突き刺さる。
かつて何者にかになりたくても信念も努力も放棄し猿真似だけしていた、17歳の自分に突き刺さっている。
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2019年夏、HiHi Jetsは六本木EXシアターで長期公演をしている。
猪狩蒼弥が選んだソロ曲は「自作」、彼のオリジナルである。
ラップ詩は公式に発表されていないので、残念だが割愛する。
猪狩蒼弥は、ただ静かにもうすぐ17歳になる夏、静かにそして容赦なく怠惰な17歳だったわたしを殲滅しにきたのだ。
凡人でしかない者が、想像できる範疇を越える努力と知略と研鑽を積んで。
紳士然としたスリーピースのスーツを戦闘服に変え、自作のラップ詩を武器に、遠藤ミチロウがそうしたように拡声器を携えて。
言葉を散弾銃のように目覚まし時計代わりに撃ってくるのだ、「あとは自分で考えろ」とばかりに。
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2019年8月8日、東京ドーム。
二組のユニットがデビューすることが発表された。そのなかには彼が敬愛してやまない先輩もいる。
数十年ぶりにジャニーズJrだけで開催され、二組同時にデビューすること自体が事務所としてははじめての試みで、いくつもの意味で伝説となるだろう公演だった。
しかし彼は観客に向かって、こう宣言してみせたのだ。
「まだ伝説ははじまったばかりなんで、これを最後にしないで下さい」
「俺たちもさっさと伝説になろうと思います」。
この言葉が、いつか詩に昇華される日がくるといい。